明日を生きる多発性骨髄腫患者の日常200 図書館の復権

こんにちは。

 

まだほとんどの地域では梅雨は明けていないようですが、この数日、気温は連日30度どころか35度に達している所も数多く見られます。かと思うと大雨が来たりして、本当に天候が不順ですね。

ずいぶん昔の話になりますが、学生時代はこの時期になると、涼を求めて、大学の図書館に入り浸っていたことを覚えています。あの頃、まだ教室にはほとんどエアコンは入っていませんでしたし、喫茶店に行くとコーヒー代がかかってしまいます。結局、カネをかけずに涼める場所というと、図書館ぐらいしかなかったのです。もちろん、本や新聞を読んだりすることもできますしね。

 

昨今は、ネットでさまざまな情報を収集したり、本を読んだりすることができるようになったため、学生たちは図書館をもっぱら勉強場所として使っているようです。今の時期だと、ちょうど公務員試験が迫っていますので、その勉強のために、一日中図書館で過ごしている学生も少なくないようです。机は広いし、周りは静かだし、冷房代もかからない。腹が減れば、近くにある学生食堂に行けばよい。まあ彼等からすれば、天国のような場所なのかもしれません。毎日同じ席に陣取っている者も多いのです。

しかし、こうした一部の人以外にとって、図書館は次第に縁遠い存在になりつつあるようです。そもそも「本を読む」という時間そのものが減っているようですし、先に書いたように、調べものなら、自宅でネットを通じてできるのです。

しかし、大学図書館に限らず、公立の図書館等も含めて、各図書館は相互利用や相互貸借などをどんどん進めています。手に入りにくい資料なども、他の図書館にコピーを依頼できるサービスもあります。さらに、カウンターにいらっしゃる司書の方に質問をぶつけてみれば、自分では見つけられなかったものに出会うこともあります。これらをうまく利用すれば、あちこちに出かけなくても、ひとつの図書館に行くだけで、めぼしい資料はほとんど入手できる体制が、日本中で整えられているのです。ただ、こうした利用の仕方が増えすぎると、図書館側の手間が大変になるためか、さほど積極的にはこのことを広報しているところは少ないように思います。言い換えれば、「知っている人だけが便利に使える」という状態ですね。これを不公平と思うのはちょっと筋違いでしょう。とにかく一度、図書館を訪れてみて、少しずつ利用方法に慣れていくことができれば、ネットを通じての情報収集とは一味違ったものになると思います。

 

図書館を巡る動きとしてはもうひとつ、図書館そのものにエンターテイメント性を持たせるという動きが広がっていることが注目されます。そして、これにはふたつの流れがあります。

ひとつは自治体の財源問題等とも絡んで、図書館の運営自体を全面的に民間業者に委託する方法です。代表的なのが、いわゆる「ツタヤ図書館」です。これは大手のレンタル・書店であるツタヤ(蔦屋あるいはTSUTAYAという表記の店もあります)を運営するカルチュア・コンビニエンス・クラブ株式会社(CCC)を各自治体が指定管理者として、その運営の一切を任せるもので、オシャレなカフェやくつろぎのスペースを併設して、誰でも気軽に利用できるようにしたものです。1号館は2013年にオープンした佐賀県武雄市のものですが、その後、神奈川県海老名市、宮城県多賀城市山口県周南市和歌山県和歌山市等に広がっています。

「ツタヤ図書館」に関しては、指定管理者としての決定プロセスや施設充実のための費用の不適切な流用などの問題も指摘されていますが、本に出合うための空間としてもっともよく指摘されるのが、ほとんどの図書館で用いられている図書の分類方法(日本十進分類法)とはまったく異なる観点から、図書の配列が行われているという点です。これは、従来の配列に慣れ親しんでいる人にとっては、とても戸惑うもののようです。ただ、書店としてのツタヤを訪れたことがある人ならわかると思いますが、この工夫、予想外の本と出合うきっかけにもなる可能性があるもので、私は一概に否定的にはなれません。いわば知の冒険旅行」とも言えるエンターテイメント性がそこにあるのです。本というものに慣れ親しむ機会の少ない、とくに若い人に読書の魅力を感じてもらうには、とても良い入口だと思うのです。

もちろん、現段階ではさまざまな問題があぶりだされている状況です。とくに、自治体にとって必要不可欠な公文書の収集・管理がきちんと行われていくかどうかは、長期的には重要な課題になってくるでしょう。

もうひとつの動きとして、自治体自らが主導権を握りながら、従来とは大きく異なる発想で図書館をデザインし、運営していこうというものです。これもいくつか事例があるのですが、ここでは昨年オープンした新しい金沢市にある石川県立図書館に注目しましょう。

金沢大学工学部の跡地を利用して、広大な土地に建てられたこの図書館は、入った瞬間にその斬新なデザインに目を奪われます。天井までの吹き抜けと、階段状に設置された書架や閲覧用の椅子・机、少人数のミーティング用のスペースもあり、自由な使いかたができます。もちろんとてもお洒落です。本を探す方法も色々と用意されているし、カフェも併設されています。何よりも特徴的なのが、落ち着いた雰囲気で読書や調べ物をできる、ゆったりとした空間です。ここになら、特に目的がなくても、半日は十分過ごせそうです。

個人的な印象としては、図書館初心者にやさしく、中級レベルの愛用者も十分満足できるもので、公共図書館としての機能は果たしているのではないか、と思った次第です。

石川県立図書館 下の写真も同様




この他、例えば、大阪には建築家安藤忠雄氏の発案・設計でつくられた児童用の図書と遊び場所に特化した「こども本の森中之島」がお^分して、連日子供たちでにぎわっています。今後も、こうした特徴ある図書館が各地にできれば、日本全体の文化的な民度はかなり上がるのではないでしょうか。

ツタヤ図書館にしても、新しいタイプの公共図書館にしても、ネットやデジタルを排除しているわけではありません。ただ、印刷された本というものは、1000年以上の歴史をもつもので、メディアとしての完成度はきわめて高いというのが現実です。これに、新たなメディアである各種デジタル資料等をどのように組み合わせていくのかが、これからの図書館の大きな課題となるのでしょう。

そういえば、最近図書館って全然縁がないなあ、という方、一度近隣の図書館に出かけてみてはいかがでしょうか。冒頭に書いたように、避暑にもなりますしね。

 

今回も、最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

明日を生きる多発性骨髄腫患者の日常160 PK戦をめぐって

こんにちは。

 

昨日は、4週間に一度の血液科の受診日でした。検査結果はまずまずで、現在の治療体制を継続して、新年を迎えることになりました。それはまあよかったのですが、年末が近づいてきたせいか、病院はかなりの盛況ぶりで、採血室など、いつもの2倍以上の行列ができていました。それはその後の診察や治療(注射)にも波及していて、結局、病院を出たのはいつもより1時間30分以上遅くなってしまいました。まあ、途中の待ち時間に、薬局に処方箋をファックスで送っておいたので、薬の受け取りは比較的スムーズでしたが、それでも疲れてしまいました。自分自身はたいしたことをしてないんですけどね。

心室室で、次の受診日を決めるのですが、主治医の先生が「次は4週間後の1月5日ですね・・・わあ、この日、たくさん入ってるなあ」と仰ったもので、またまたゲンナリ。次回も相当時間がかかること、確定のようです。

とはいえ、循環器内科の受診のため、来週も通院しなくてはなりません。まあ、こちらはさほど時間はかからないはずですが・・・

 

さて、気を取り直して本題に入りましょう。

サッカーのワールドカップ、日本が惜しくもPK戦の結果、次に進めないことになり、日本国内では、大騒ぎは少し収束しつつあります。それにしても、クロアチア戦の時の盛り上がりも凄かった。深夜12時キックオフということで、どうしようかな、と思いながら、まあ前半だけでも・・と考えていたのですが、あの緊迫した試合を途中で切り上げるということはできず、結局最後まで見てしまいました。結局寝たのは3時前だったでしょうか。

 

ニュースで見た話ですが、社員にサッカーを楽しんでもらうために、翌日の出社時間を2時間遅らせた会社があったそうですね。まあ、本音は社長自身がテレビを見たかったのかもしれませんが、残念ながら、2時間では決着はつきませんでした。この会社、どうしたんでしょうね。

今回は、サッカーやそれをめぐる報道に接してちょっと気になったことを、取り上げます。それはPK戦についてです。と言っても、日本対クロアチア戦のことではなく、もう少し一般的なことです。

そもそも以前から私は、この言葉に違和感を持っていました。両チームの誰も反則を犯しているわけではないのに、どうして「PK」という言葉を使うのでしょうか。そう思って、調べてみたところ、この方式は英語では”kicks from the penalty mark”つまり、本来ペナルティ・キックを蹴るポンとからの複数の選手によるキック、ということになります。これなら十分納得できます。これをもう少し上手に日本語訳することはできないものでしょうか。

サッカーのルールを巡っては、名称が変更された例はあります。例えば、現在「アディショナル・タイム(additional time」と呼ばれている時間、つまりプレー中に選手が負傷したり、何らかのトラブルがあったりして、審判が時計を止めた時、本来の時間に追加してプレーを続行させる時間のことです。これは以前日本では「ロス・タイム」と呼ばれて、それが一般的でした。しかし、これでは英語圏の人には何のことかさっぱりわからない、ということで、世界共通で使える用語である現在のものに変更されました。なお、「インジュアリー・タイム(injury time)」と呼ばれることもあるようですが、これは「損傷」という意味ですので、選手交代に費やした時間等も含めて運用するために、今ではほとんどの場合アディショナル・タイムという言い方になっているようです。

そんなわけですから、日本で慣れ親しんでいる名称でも、変更は可能なはずです。まあ、英語名称の頭文字を取ってKFPMもなんていうのはちょっと安易かもしれませんが。

 

名称のことはともかくとして、私はPK戦という決着のつけ方そのものにも少し疑問を持っています。それはキッカーとゴール・キーパーによる1対1の勝負です。つまり、サッカーという競技で必要なテクニックのひとつが使用されるものではあるのですが、チーム戦であるサッカー競技そのものとは大きく性格を異にするものです。そんな勝負を、そこまで120分にもわたってチーム戦を戦ってきた彼らに、スイッチを切り替えさせ、やらせるのはちょっと酷なことのような気がするのです。当然、プレッシャーも大変なものでしょう。そして、その戦いに敗れた方は、その最後の瞬間を必要以上に重いものとして受け止めてしまうとすれば、彼らの心労は想像以上のもののはずです。

ちなみに、サッカーの公式記録では、延長戦でも決着がつかなかった場合は、「引き分け」と記載されることになっています。つまり、PK戦は次の試合を行う権利を得るための新たなゲームであって、試合そのものとは切り離して考えるべきものなのです。ところが、サッカーのテクニックを使って、その雰囲気を引きずったまま行われるので、それらの結果全部をひっくるめて考えられたりすることになるのです。

ラグビーでは、スコアが同店の場合、やはり公式記録は「引き分け」となります。そしてトーナメント方式で、次の試合に進む権利がどちらにあるのか決めなければならない場合は、トライ数で決め、それも同じ場合は、抽選、コイントス等で決定するようです。

もちろん、コイントスなどというゲームによって決まってしまうことにかえって「非常」を感じる人も少なくありません。PK戦の代替策を考えることには多くの議論があるでしょう。しかし、少なくとも、PK戦でキックを失敗した人達に向かって、「練習が足りないんじゃないか」「プレッシャーに弱すぎる」などの罵詈雑言は止めるべきです。一般に、PKの成功率は80%を超えると言われています。ワールドカップに出場するような選手達なら、普段の練習ではほぼ百発百中でしょう。しかし、神経戦でもあるPK戦は他の練習とはまったく異なります。そして、あのような雰囲気を普段の練習場で再現することは不可能でしょう。どんなにメンタルが強いと思われている人でも、その場に立ったらどうなるかわからない。PK戦とはそういうものだと、私達も心に留めておくべきでしょう。

 

今回も、最後まで読んでくださりありがとうございました。

次回も、もう少しワールドカップ関連のことを書こうかな、と思っています。

 

 

明日を生きる多発性骨髄腫患者の日常154 5回目のワクチン接種をめぐって

こんにちは。

 

最近は新型コロナ・ウイルスの新規感染者が明らかに増加しつつあり、研究機関(名古屋工業大学の研究グループ)の試算では、来年1月頃にピークに達する可能性が高いとのことです。しかも、今年はインフルエンザの大流行の予想されており、同時感染という事態も起きうるそうですから、その面では気の抜けない年末年始になりそうです。

そんな中、先日5回目のワクチン接種を受けてきました。前回の接種が8月10日頃だったので、現在基準とされている3か月を経過してすぐの接種ということいなります。

政府の発表によると、11月16日現在で、1回のワクチン接種を受けた人は日本国民全体の81.4%、2回接種済みの方は80.4%となっています。おおよそ8割程度でこの数字が止まるであろうことは、他国の経験からも予想されていた通りだと思います。持病やその他のやむを得ない理由によりワクチン接種ができない人々は一定数いらっしゃいますし、もともとワクチンに対して懐疑的な人や「陰謀説」を信じている人の存在を考えると、これ以上の引き上げはやや難しいのかもしれません。

ただ、3回接種済みの方は、66.6%にとどまっています。また、4回目、5回目に関しては、高齢者中心の接種となっていますので、国民全体の割合を示すことに意味はありませんが、私のような5回接種済みの方は、いまだに約317万人にとどまっているようです。

3回目以降の接種に躊躇している人達があげている理由としては、やはり副反応への警戒感がもっとも強いようです。それ以外では、現在のワクチンがどんどん新しくなっているウイルスに対して有効なのかどうか、という疑問を呈する人も少なくないようですね。

ただ、副反応に関しては、これまでの調査によると、一般に恐れられているほど高くないようです。例えば37.5度以上の発熱を経験した方は2~3%に過ぎないようです。また、注射部位の痛みや倦怠感を感じる人の割合はかなり高いようですが、ほとんどの場合、接種後2日程度で収まっているようです。ただ、発熱に関しては1回目よりも2回目の方が割合はかなり高くなるようなので、その経験から3回目接種に躊躇する気持ちも、十分理解できる話ですね。

もちろん、接種するかどうかは個人の自由ですし、すべて自己判断に委ねられていますので、接種していない人達に対して非難めいたことを言うつもりはまったくありません。実際、今のワクチンが本当に効果のあるかどうかは、もっと時代が進んで、きちんとした検証がされなければ、はっきりしたことはわからないのも事実です。このブログで何回か紹介してきましたが、過去において正しい薬あるいは治療法とされていたものが、さまざまな弊害をもたらし、後に使われなくなった例はいくつもあるのです。(第36回ではサリドマイドについて、そして第48回では中世のヨーロッパで痛み止めとして広く使われていた水銀について書いています。よろしければご覧ください。)

ただ、今の段階では接種したほうがしない場合よりも感染する確率は低くい、またたとえ感染した場合も重症化するリスクは低い、とほぼすべての専門家はコメントしていますので、それを信じるほかないでしょう。

それよりも大事なことは、そもそも何のためにワクチン接種を受けるのか、ということです。それはもちろん自分が感染しないため、というのが主な目的になるのでしょうが、同時に、感染しても発病していない場合、それを知らずに他人にうつしてしまうことを避けるためでもあります。つまり、自分のためであると同時に、周囲の人々や社会全体のためでもあるのです。

もう一点、副反応のリスクについてですが、たしかに実際に高い発熱や重い倦怠感等に見舞われた人のことを考えると「お気の毒でした」としか言えないのですが、そのリスクよりも発病して、それが一応収まった後も後遺症に苦しむ、というリスクの方がはるかに恐いのです。公表されているデータを見ると、日本でも他国でも、発病した人の30%以上がなんらかの後遺症に苦しんでいるそうです。また、後遺症は悪くすると数か月間も続き、仕事や日常生活に支障が出る場合もあるのです。副反応のほとんどは数日で収まる事と比較すれば、どちらのほうがマシであるのか、明らかではないでしょうか。。

そんなわけで、私は、とくに事情がない限り、なるべくワクチンの接種は受けた方がよいと思っています。この先、いったい何回このようなことがあるのかわかりませんが、「ウィズ・コロナ」の時代に活動していくには、ただ「必要以上に怖れない」だけでなく、自分ができること、するべきことは何なのか、きちんと考えて行動すべきだと思うのです。

 

今年は紅葉の進むのがずいぶん早いような気がします。この調子だと、冬の到来も早いのでしょうか。今からその備えも必要ですね。

京都・今熊の観音寺の紅葉